「加齢とともに時が加速する」現象を食い止める方法
どうも、まさです。
今日はタイトル通り、「加齢とともに加速する時間の進みを遅くする」方法についてです。皆さんも共感頂けると思いますが、年齢を重ねるにつれて、1年経つのが、季節が過ぎるのが早くなっていきますよね。気づいたらもう年末かよぉ、的な。
この対策を考えて実行していて、いくつか有効なものがあったので紹介します。
※もちろん個人差があると思います。
これは、プッチ神父のメイド・イン・ヘブンに対する秘策でもあります。
ググれば出てくるジャネーの法則と脳科学
年齢とともに時が経つのが早く感じる現象は、ジャネーの法則というそうで、ここら辺はググればいくらでも説明が出てきます。これは、体感時間の流れの速さは年齢に比例する、とかいう経験則だそうです。なので、10歳に比べたら20歳は2倍の速さで時間が進むように感じると。僕個人としては、25歳から30歳くらいで一気に進みが早くなった気がしていますが・・。
で、これもググれば出てくるのですが、脳科学的にもある程度、理屈だって実証されているそうな。毎日同じことを繰り返していると、脳が新しく覚える必要のない情報と判断して、結果的に同じ記憶領域に上書きをする。そのため、脳の大きな更新がない→時間をかけた印象がない、ということらしいです。
あとは心拍数が早いと時間の流れが遅いとかっていうのもあるみたいです。
自分的に効果があった対策
・・ただ、論点はそこにはなくて、「なるほどそっかー、みんなそうなんだね」で終わってはいけない。加速を少しでも食い止めなくてはならないのです。
結局は、定期的に脳が違った刺激を受けるようにすればよいわけです、よね。
言い換えると、新しいことを始める、ということ。
僕は複数の時間足(トレードか笑)で対策を試していて、今のところそれなりに効果があるので紹介したいのです。
1.毎月単位で行うこと
通勤のルートを時々あえて少しだけ変えてみる。これは結構面白くて、普段行く道を1ブロックずらしてみるだけで、今まで通ったことのない景色に出くわします。小さい面白そうな店があったり、豪邸があったりで、いろいろな発見があります。また、地域にも詳しくなっていくので面白い。
筋トレの種目構成を変える。これは筋トレしている人ならわかると思いますが、身体の動かし方がいつも同じだと、慣れが来てしまいます。なので毎月種目構成を変えると、脳が新しく学ぼうとするので、これも多少効果があるはず。ダンベルとバーベル、マシンと入れ替えるだけでもかなり違った感じです。
2.毎年単位で行うこと
毎年、新しい趣味を作るようにしています。これはかなり大きくて、脳が今までに考えたこともないようなことを大量に処理しないといけないです。今年は何に挑戦しよう、来年は何をやってみたいだろうか、と考えると、結構楽しいです。仮に飽きても次の年には新しい趣味ができるので、合わなかったら無理に長年続ける必要がない、というのもメリットです。気に入ったら長く続けたらいい。
3.数年単位で行うこと
これは研究に携わっているからこそ、というのもあるのですが、職場環境を変える、です。職場を変えた最初の3か月は、本当に学ぶことが多く、脳がフル回転します。周りの人や交通状況もがらりと変わる。1年たつとだいぶ慣れて、2-3年でその役職の仕事はある程度掴めると思います。そしたら、次の職場環境へ移動。これは難しい人も多いと思いますが、その場合は職場ではなくて、人と関わるサークルに新しく参加する、でも良いと思います。
どれか一つでもやると違うとは思うのですが、人間、時間の感覚も複数の時間足がベースになっていると思うので(1日単位、1か月単位、季節単位、年単位・・)、どのスケールでもなんかしら新しいことをやれるように意識しておくと良いと思うのです。
論文を書くにあたって
どうも、まさです。
今回は、学術研究に関してです。論文の書き方について。
学生の指導で必要だった資料の日本語まとめですが、駆け出し研究者や、学生、それを指導する側の人には役に立つと思います。初学者にありがちなミスなども書いてます。
一応、生態学が無意識にベースにあるかもで、分野によっては全然違うかもしれません。また、人によってスタイルが違うことも理解してください。
ここで書いたこと以外にも、以下の本はオススメです。
Paul J. Silvia著:How to write a lot
酒井 聡樹著: これから論文を書く若者のために
吉岡 友治著:シカゴ・スタイルに学ぶ論理的に考え、書く技術
これも大事じゃない?というのや、お勧めの本、書くのに困っていて意見が欲しいなどがあれば、コメント歓迎です。
文章を書くのは難しい
とにかく毎週数回は時間を決めて書くこと。というのも、文章を書く能力というのは筋力や体力と同じで、継続することで着実に能力が伸びていくものだから。学術本How to write a lotにもあるように、とにかく書く量を増やすことで、文章を書く力が伸びていく。また、文章を書くことは誰しもが心理的に苦手であるということは知っておくべきで、そういった心理的抵抗を取り除くには、とにかく書き始めることが一番の特効薬である。とりあえずは、一度書くと決めたら、1~2パラグラフ書くのを目標とするとよい。
また、時々行き詰ることもあるけれど、それは今のアプローチでPlateauを迎えてしまっているから(頭打ち)。大事なのは、手が止まることが多くなった時点で「ああ、頭打ちだ」と早めに気づくこと。打開策としては、新たに別の視点からの書き方のInputを入れること。文章を書くコツといったものや、Natureなどの高品質ジャーナルでの上手い文章を精読するなど。また、査読も客観的に文章を批判する練習になるので良い。
重要なパラグラフは、一文目を書くのは非常に難しい。イントロダクションや考察、アブストラクトの一行目など。なぜなら、それがストーリーの大枠の方向性を決めるものだから。なので、そういったキーセンテンスを書くときは、複数書き並べたりすべき。一方で、上手くかけずに手が止まってしまう場合は、とりあえずまとまっていない状況でも頭の中にあることを書きなぐってみることで、徐々に脳の中で理解が進み、次の日当たりに案外すらっと書けたりする。
この「脳が勝手に理解をする作業」をうまく使うのは非常に重要で、だからこそ集中的に一度に一気に書き上げることはオススメできない。一気に書き上げて終了!となると、このプロセスを使えない。同じ時間数文章を書くにしても、継続的に(週2回とか)書き続ける方が、この脳の理解の再構築プロセスをうまく使え、より文章が書きやすくなる。
全体像をクリアにするには
アブストから書き始めるとよい。良い研究というのは論点・論旨が極めて明確であり、完結にまとめることができる。一方で、まとめた際にあれもこれも言いたい、となってしまうのであれば、それは自分の中でその研究成果をうまくDigestできていない証拠。非常によく引用されている論文やNatureクラスのアブストを読んでみると、一貫して明確なことが分かる。
また、文章を書き進めていくにつれて、何度も論旨に重要なキーセンテンスを訪れて、方向がぶれてきていないかを確認すべし。
パラグラフを論理的に立たせる
全体像、ストーリー、骨組みが決まったら、各パラグラフの構成を考える必要がある。学術的な書き方で知っておくべきは、トピック・センテンスという概念。これは、そのパラグラフを代表する文章で、たいていはパラグラフの一文目に書く。このパラグラフはこのトピックに関して書きますよ、という予告のようなもの。更には、その一文目において、自分の主張はこうだ、というのも書いきってしまった方が、論旨が明確になるので良い。その後の文章で、何故そうやって主張できるのかを、文献を引用したり、ロジックを説明したり、例を書いたりしてサポートする。また、考えうる反証があれば、それも自分から敢えて述べつつ、否定する。特にこの考え方は、イントロと考察で重要視したい(手法と結果はそれぞれ再現性、客観性をメインに置くため)。
論理構成が拙い場合
初学者は基本的に論理的に筋を通った文章を書くことができない。一番ありがちなのが、論理の飛躍。AだからBで、それが成り立つならCだ、というべきところを、AだからCだ、と書いてしまう。これは、自分の頭の中でロジックが明確過ぎるときに起きてしまいがちだ。自分が執筆に没頭しているときは、やった研究の全体像から細かいところまですべて頭に入っているので、「AだからBで」というワンクッション必要なところが書かれていなくても、頭の中で無意識のうちにそれを想起して補完してしまい、その論理の抜けに気付けないのだ。
これの対処法として、書ききったら数日から数週間原稿を寝かせておいて別の作業に没頭し、頭がリセットされた状態で読み直すこと。たいてい、間違いが見つかる。論理が飛んでいると流し読みしていて少しつっかかる所があったりする(例えば、あれ?これどういう意味だ?と少し考え込んだり)。そういった時は何か情報が足りないことがほとんどなので、何を書き足したらよいか丁寧に考えるとよい。リセット→読み直しの作業は複数回行うこと。また、声に出して読んだり、文章で意味することを頭の中で(もしくはノートの上で)順番に図示してみるとよい。目で追っているだけでは気づけなかった点に気付くことができる。自分ではこれ以上論理の飛躍を見つけられない、となったら、別の思考回路を持つ共著者の出番。
序論
スタンスにもよるが、4~5パラグラフくらいが理想。あまりに長いイントロだと読むのに疲れてしまうし、そもそも長く書かなくては本論に入れないのであれば、その研究自体が分野の中でかなり細かい、末端・枝葉のようなトピックを研究している可能性がある。また、初学者にありがちな間違いとして、まるでレビューかのように「分野のまとめ・全体像」を書いてしまうことがある。そうではなく、イントロはあくまで自分の研究の新奇性(Novelty)と重要性(Importance)を主張し、読者を惹きつけるためにある。イントロダクションの最後のパラグラフで目的を述べる、手法や結果、アプローチが複数入っている研究は全体のOutlineを書くのもあり。
以下はパラグラフ構成の例:
①分野内の人であれば共通認識であり、関連分野の人が読んでも理解できるような全体像(大きな枠組み・課題といった分野の重要性)を述べる、②やや特定のトピックに絞り、これまでにやられてきた研究について簡単に紹介しつつも、それら共通かつ重要な課題を提起する。③その課題を解くのに必要な着眼点・アイデア・アプローチを説明。いかに斬新で筋が通った解法であるかを説明する。また、この解法によって課題が解けたとき、どのようなインパクトがあるのかを説明、④必要に応じて、研究対象をやや細かく説明する。生物なら、なぜその種を対象にして研究するのが適しているのか、など。⑤目的やアウトライン。
手法
手法で一番重要なのは、再現性(Reproducibility)。分野にとって新しい手法を書くときは、ある程度どういう手法なのかを書くべきではあるが、あまりに細かく書くのは不必要な突っ込みどころを見せてしまうので良くない(注:都合の悪いところを隠せ、と言っているのではなく、あくまで議論すべき論旨とは関係のないところで不必要に読者に猜疑心を与える必要はない、ということ)。どのように手法が動くか、というよりも、何故その手法が必要だったかを書くとよい。
また、統計解析をするときなど、データが手に入った段階では複数のアプローチが考えられてしまう。統計手法の仮定が当てはまっていれば、正直どれを使ってもよい。ただ、大事なのは、あくまで全体の本論の主張を支持するのに必要な結果を出すことだというのは意識しておきたい。複数あってどれでもよさそうなのであれば、一番シンプルなものを選択する方がよい。
結果
初学者にやりがちなこととして、得られた結果を全て載せる、結果を得られた時系列順に紹介する、というのがあるが、これらは避けたい。あくまで、読者は本論に直結するような結果を簡潔に読みたいのだ。あくまで主張を支持するのに必要な結果とそれに関連する前提的な検証結果を載せ、それ以外のサポートは付録に載せるようにすること。
結果は主観的な解釈を伴う文章を含めないように注意。ただし、結果が意味することがやや難解で、意図を解釈するのに数ステップを要するのであれば、言い換えを付け足すとよい(例えば、この文章とさっきの文章を組み合わせて考えると、客観的にこう言えるよね、といった場合)。その場合には、客観性を保ちつつ、言い換えによって結果が示唆することをより明瞭にすること。
考察
1パラグラフ目は主張のまとめをするとよい。イントロダクションで紹介した仮説や論点に対する答えを、簡潔な前提のまとめとともに書く。初学者にありがちなこととして、得られた結果の順番に対応して細かいところから考察を書く、というものがあるが、これは避けたい。読み手は考察まで到達するのにかなり疲弊しているし、最後まで丁寧に読み切ることは滅多にないのだ。という観点から考えるに、考察では最初の2~3パラグラフで面白い着眼点や、論旨に必要な議論をすませてしまうべきだ。
各パラグラフで、結果で書いたことを再度書きまくってしまうのは悪手。よほど結果が多い場合にはそうやって読者の手助けをするのもありかもしれないが、そもそもそれだけ多くの結果が本論を支持するのに必要なのか?ということをまずは考え直したいところ。
考察で書くべきは、主に①結果に解釈を与えて、示唆できる主張を述べる、②類似・関連した研究(関連する理論、実験、観測や異なるスケールなど)と比べて、得られた結果が同様のことを支持しているのか、または違っているのかを書く。違う場合は、なぜ違うのかをしっかり考え抜いて論理的に説明することは、新しい発見につながるので面白い。③結果から示唆できることを誇張しないために、留意すべき点や懸念すべき欠点を述べる。ただしあくまで建設的な観点から述べ、それらを留意しつつもここまでの範囲なら結論付けられそうだ、ということも述べる。④示唆したことから今後できることや、今後の展開を述べるのもあり。
結果を得た直後としてありがちなのが、自分の研究を好きすぎて、「あれもこれも示唆できる」と誇大解釈してしまうこと。考察とは、それをいかに抑えて、いかに無駄な主張を削り取っていくかが勝負になる。
図表
極力情報を削減すること。多角的に解釈できてしまう情報量は本当に必要なのかを考える。というのも、書いている本人にとっては全体像が分かっているので、この論点では図のここを見ればよくて、あの論点では同じ図のあそこを見ればよい、というのも簡単に思えてしまう。しかし、読み手にとってはそのような事前情報を持ち合わせておらず、苦戦してしまう。理想は、誰がその図表とキャプションを読んでも、同じ解釈にたどり着くように単純化すること。
慢性的な脳の疲労に対する特効薬|イェーガーマイスター
今日の話は、
イェーガーマイスターを朝晩2回継続的に飲むことで、脳の慢性疲労が軽くなり、深い集中力とやる気が戻ってきたのでオススメかもしれない
についてです。
どうも、まさです。
すっかりベルリンも涼しくなってきて、暗くなるのも早くなってきました。ベルリンはドイツの中でもかなり北端に位置し、夏は日が長い一方で、冬はずっと暗いという気候です。冬は長いので、ここからメンタル面でやられないように心の準備をしていかないといけません。
実は今年に入ってから、つい最近まで、かなり長期の慢性的なやる気の消失に見舞われていました。鬱とまではいかないんですけど、どうも心の底からふつふつと湧き上がるようなモチベーションが出てこない。これは研究者にとっては致命的だと思います。
今年の始めのうちは「まぁ冬の一過性の気分の問題だろう」と思って軽く見過ごしていたのですが、春になっても、夏になっても、いままでのようなやる気が出てこない。これは流石にまずいなぁ、と少し困惑していたところです。なんとなく、うまく表現できないのですが、慢性的に脳がつかれている。しっかり運動して睡眠時間を確保しても、脳の奥の部分がずーんと重く、パフォーマンスが悪い。
特にまずいと感じたのは、やる気が出ない→集中力が下がる→成果もいまいち出ない→よけいやる気がでない→…という負の連鎖に陥ってしまう状態でした。これに入るとなかなか抜け出せません。人間、良い流れの時には多くのことがうまく進みます。これは正の連鎖の状態ですね。そんな時は別にいいんです。人間、大事なのはこういった本当に苦しい、負の連鎖に陥ってしまったときにいかに対処できるかでしょう(投資で言えばドローダウン期ですかね)。
「律速因子」という言葉、ご存知でしょうか。あるシステムのパフォーマンスを考えたときに、ある特定の要因が全体の足を引っ張ってしまうものを指します。僕の脳の慢性疲労も何かが足を引っ張っているんじゃないかな、と考えていて、これまでに色々試しました。運動、食事、睡眠、ビタミン摂取などなど・・。それでも一向に改善しない。
で、どうにもこうにも答えが見つからないまま夏が終わり、いよいよやばいな、と思った矢先に、少し解決の糸口が見えたのです。僕の慢性的な脳の疲労は、自律神経の失調で、ハーブ類などに頼るというのがよいのではないか、というアイデアが浮かびました。
・・・そこでたどり着いたのが、冒頭に書いた、イェーガーマイスター(Jägermeister)でした。これはドイツ版の養命酒のようなものです。ただし、養命酒がウコン、ケイヒといった14種類の生薬が配合されているのに対し、イェーガーマイスターはなんと56種類も入っているのです。すごい。日本だとサントリーが販売している模様。
イエーガーマイスター | 商品情報 | サントリーバーテンダーズクラブ
イェーガーマイスターの人気の飲み方は冷凍庫でキンキンに冷やしておいて、ショットで飲む、というものが主流です。が、僕の場合は、ホットミルクにイェーガーマイスターを少し混ぜて飲む、というものでした。これがインドのチャイみたいにスパイスが効いている少し甘い感じの飲み物になって、めっちゃうまいです。身体もぽかぽかしてきます。
で、これを朝晩2回飲んでいたら、寝つきもよくなるし、日々の集中力とやる気が戻ってきているのを実感し始めました。90分とか集中するとあっという間に過ぎる。しかもこの効果はわずか1週間程度で実感できました。これはすごい。
うん、もちろん因果関係は確定できないですし、プラセボ効果かも知れません。それでも、僕にとっては久々の復調という結果になったわけです。ということで、僕はこれからもちょっと継続してみようと思っています(今も書きながら飲んでいます)。色々試してみても、なんとなく脳が疲れていて、パフォーマンスがすぐれない、という人は試してみるといいかもしれません。別にイェーガーマイスターからお金を貰って宣伝しているわけでもないのですが笑、おすすめということで紹介です。
「ウェルネス」を知って幸せを模索する
どうも、まさです。
前回書いた記事が結構多くの人に読んでいただけたようなので、今回はその中で出てきた「ウェルネス」という概念をより詳しく紹介していきます。
ちなみに、なんで結構な時間を割いてこんなことをしているか、というとですね、僕は誰かの役に立つことで自分の存在意義を感じたいんです。それは自分の専門の研究でも頑張っているけど、それとはまた別に、僕の論理的思考能力はきっと多くの人に役に立つと信じているのです。なので、「記事おもしろかったよー」とか仰っていただけると、とても嬉しいです。また、自分の思考の整理として、書いていたりもあります。
前回の記事
masa-crypto.hatenablog.com
ウェルネスってなんだ?
人生の質(Quality of Life,QoL)を上げましょう、なんて考え方はだいぶ浸透している一方、じゃあどうやって上げるの?という方法がいまいち世の中広まっていないと思うんですよね。そこで出てくるのがウェルネス、という概念です。
病気(illness)の反対=健康(health)だと考えるのが一般的でしょう。ただ、そうじゃなくてもっと概念的に深く考えましょうよ、というので提唱されたのが、ウェルネス(wellness)なんです。イルネスの反対が、ウェルネス。
近年のウェルネスの定義には2015年にGlobal wellness Instituteが提唱する「身体的、精神的、そして社会的に健康で安心な状態」がある。
ウェルネスとは、病気ではない状態であるヘルス(健康)を「基盤」として、その基盤をもとに豊かな人生、輝く人生を実現することが「ゴール」である。
1961年に、アメリカの医学者、ハルバート・ダンによって提唱された。
ーWikipediaより抜粋
ウェルネスは複数の研究者たちが別々の定義をしていたりもしますが、基本的には5-8項目程度に分類して考えるのが一般的なようです。これは、2009年にRoscoeが総説としてウェルネスをまとめています(Roscoe, 2009, Journal of Counseling & Development)。その総説を日本語でかみ砕いて紹介します、というのが今回の趣旨です。なお、定義は本当に多様なので、今回は7つに絞っていき、僕が主要だと思ったものだけまとめています。
では、ひとつひとつ見ていきましょう。それが終わったら、具体的にどうQoLを高めるか、という話を提案します。
1.社会(Social wellness)
他人、または自分が所属するコミュニティとの関係性が良好なこと。
自分の感情や欲求、意見などをストレスなく表現できる相手が居ること、お互いを尊敬しあい、協力できる仲間が居ること。また、ボランティアやグループ内での貢献といったことでも高められます(Maslowの所属の欲求と関係しますね;Maslowってなに?ってなった人は、前回の記事を読んでね!)。
2.感情(Emotional wellness)
自分と他人の色々な感情に気づき、受け入れられること。更には「建設的に」自分の気持ちを表現し、コントロールできること(自暴自棄とかはだめってことね)。ポジティブ・シンキング。
また、しっかりと自分がどういった人間であるか、そしてそれを認めてあげられているか、も重要です(Maslowの尊厳欲求とも関係しますね)。注意したいのは、「自分の限界」も認めてあげること。それがストレスと大きく緩和します。感情ウェルネスが高い人は、他人との関係が良好であり、社会ウェルネスも高くなる傾向にあるとか。
(注:研究者によっては、「心理(Psychological)」と別個に考えることもあるそうですが、かなり似通った概念ということでまとめています)
3.身体(Physical wellness)
まんまですね。身体が「自分にとって最適な」状態に向かうよう、また維持するように努力すること。また、自分の体の現状を受け入れられること。他人と比べるのは定義と外れます。
僕は筋トレ好きで週2回程度通っていますが、やっぱり身体の健康は感情に良い影響を与えるし、結果として社会との関係も良くなってるんだろうなぁ、と思います。たぶん、筋トレしてる人は「そうそう」と分かって貰えるかと。
4.知性(Intellectual wellness)
知識や思考回路の獲得・発展・応用・記述にかんすること。クリエイティブ。
何かをわかることって面白いですよね。俗的な話でいうと、雑学が面白くてついついネットサーフィンしちゃうのもこれに関係するんじゃないでしょうか。あ、僕がこうやってブログ書いて共有するのもこのカテゴリーと社会に入るんじゃないかな。
5.スピリチュアル(Spiritual wellness)
人生の難しさや深遠さを受け入れたうえで、人生の意味や意義、目的を探し求めること。 また、他の人との深い繋がり、更には高次の存在(自然、神、宇宙)との繋がり。
日本でスピリチュアルとかいうと胡散臭いとか思う人も一定数いるかと思いますが、騙しとか関係なしに、素直に良い意味で捉えてくださいね。神様に祈ったりとか、死んだ人に思いを馳せたり、するでしょ?
面白いことに、他のウェルネスと比べて、スピリチュアルが一番良く定義され研究されている項目らしいです。それだけ人間を理解する上で特徴的で難解なところなんでしょうね。
6.職業(Occupational wellness)
仕事に対する満足度。また、仕事で自分の価値をどれだけ出せているか。自分のスキルや才能を報酬の有無に関わらずに使い、所属先に貢献すること。
個人的には社会のウェルネスの一部のような気もしますし、研究者の一部が使っている模様。まぁ、人生の大半は働くということを考えると、特別扱いしてもよいかもしれません。
7.環境(Environmental wellness)
家庭環境、仕事環境が良好ですか?という項目。ひいては、自然環境問題を憂いて貢献することも関係しているそう。これまた一部の研究者のみが考慮するカテゴリーな模様。
じゃあどうやって幸せになるか
Roscoe(2009)によれば、多くの研究者らが、
1.ウェルネスの各項目は別々に高めたり低くなったりするものではなく、お互いに関係しあっていて、どれかが高くなると別の項目も連動して高くなる傾向にある
2.全体のバランスをとることの重要性
について言及しています。
ということで、まずは上の7つの項目に沿って思うところを書き出し、まずは現状を理解。その現状にあることを受け入れましょう。ここがスタート地点です。バランスが欠けている部分を見つけると同時に、簡単に高められそうな部分も探してください。
個人的におすすめしたい、今すぐ出来ることは、
- 自分の人生は着実に良い方向に進んでいるんだ、と頻繁に思い込んでみる。
- 他人と比べない。今の自分と向きあう。
- 週2,3回は身体を動かす(筋トレおすすめ)。
- 仕事中に自分の興味があることに自己投資する時間を設ける。
- 毎日少しの時間、瞑想をする。
- 月に1回はハイキングやキャンプなどで自然と触れ合う。
ここら辺をカバーすると、おそらく7つの項目を全てある程度カバーできるんじゃないかなぁ。筋トレすると身体→精神→社会のウェルネスと波及効果があるし、仕事も自己投資をすることで知識&職業のウェルネスは上がる。あとはスピリチュアルと環境のウェルネスを瞑想&自然との触れ合いで。他人と比べない、とりあえずポジティブに思い込む、バランスを考える、ってのも大事よね。
・・僕は専門家じゃないから断言できないんだけどもね。
今回も楽しんでいただけましたでしょうか。
人生の意味。ゴール。
まさです。
この記事が少しでも多くの人の幸福度を上げられる手伝いになればと思い、僕なりに真剣に書きました。ちょっと長いです。人生の意味って。ゴールって。
人生は時々ゲームに例えられたりしますよね。
お金持ちの家に生まれたらイージーモードだとか、運が大きな決定要因の運ゲーだとか。小さいころから学力テストや体力テスト、大人になっても学歴や資金力といったものさしで他人と比べられることが多く、高スコアを叩き出すと評価されるといった点では、人生はゲームといってもよいでしょう。ある程度、運でランダムに決まったりするあたりもゲームとして面白い要素ですよね。
常日頃資本主義の競争社会で生きている私たちは、なにかしらの目標をもって成果を上げたり、成長を感じたりするわけです。また、恋愛や結婚などのイベントもあります。そして経験値が上がるとレベルアップ、昇進・昇給。
まぁ、人生は山あり谷ありのゲームに例えられるとして、大事なことが抜けているように思います。
そのゲームの目標ってなに?ゴールはなんだ?
この考えが非常にぼやっとしているんじゃないかなぁ、と思うわけです。
そうじゃないですか?
・・自分にとってゴールが明確だよ、という人はこれ以降読まないでOKです。
いまいちわかってない、日々頑張って生きているけど人生の目標?ってわからない、そんな人は読んでみてください。社会人で死ぬほど残業して、自分何やってるんだろ・・という人は、ちょっとこの記事読んで考えてみてほしいです。
あくまで僕の一意見だけど、でも研究者として社会学の知見をベースに分かりやすく提案します。きっと役に立ちます。
人生の目標って、お金持ちになって好きなことに好きな時間をさけるようになること?
ちょっと違いますよね?お金や余暇はあくまであるゴールへ近づきやすくなるため・選択肢を制限しないための「ツール」であって、「ゴール」じゃない。
有名になること?周りから尊敬されること?自分のやりたいことを追求すること?
これらも少しずれている気がします。上にあげた項目が本当にゴールなの?と尋ねられて、そうだよ、と自信をもって答えられる人は幸せです。
今、「幸せ」という言葉を出しましたが、結局ここにいきつくんじゃないかな、と思っています。
「山あり谷ありのゲームの中で、幸福量のハイスコアを叩き出すこと」
「なるべく長期間、幸福度(Quality of Life)を高い状態で維持すること」
と言い換えてもいいかもしれません。
なんだよ、ありきたりかよ、と思った人、ちょっと待ってください。ここからが本題。
「じゃあ、人生はなるべく幸福になるゲームだとして、その幸福ってどう定義するのか、という話」に対して、社会学的知見から答えてみようじゃないか、というのが今日の試みです。
もちろん、一個人の解釈と提案ですから、誰しもがそう思わなくてよい。人によってものさしが違うことは明白です。とはいえ、その人によって違うものさしを一般化して提唱している概念があるわけです。そこを知っておくと、いろいろ物事の見方が変わってくるんじゃないかと。なお、一応ですが、僕は社会学・心理学などは専門分野ではないです。ただ、文献を読んでなるほどと思ったところから書いている感じです。
まずは、人間の欲求から理解しましょう。これは食欲、性欲、睡眠欲の三大欲求だけではなくて、もっと高次の欲求も知っておく必要があります。それには、Maslowが1943年に提唱した、欲求の階層(Maslow’s hierarchy of needs)、というのが古典的だけど広く受け入れられている考え方を頭に入れておきましょう。
その理論によると、人間の欲求は5段階のピラミッド状になっていて、
下から順番に満たしていきたいという風に思うのだそうな。
日本のような先進国でいえば、生理的欲求(食べる・寝るなど)と安全欲求(防災)は、完全ではないにしろ、途上国に比べれば大幅に担保されている状況でしょう。そのうえで、多くの人は次の欲求、所属と愛、そして尊厳欲求を追求しているのが現代社会といえます。TwitterやFacebook、InstagramのようなSNSは、誰とでもつながっているような気になれるし、フォロワー数や高評価の数が多いと、他人に尊敬されているような気にさせられる(尊厳欲求が他人によって満たされる)。
ここで意識しておきたいのは、このような5段階のうちで、自分は特にどの段階でどんな欲求を満たしたがっているのか、ということです。自分の幸福度を最大化するのが人生の目的だとして、極端な話、生理的欲求を満たすことで十分に幸せだと感じ続けられる状態であれば、別にそれより上の欲求を満たす必要はないわけです。
逆に、自分はなるべく高次の欲求を満たしたいようだ、と思う人であれば、なるべく上を狙っていく必要があるわけです。ただし、大事なのは、ピラミッドを意識すること。例えば、尊厳欲求を満たそうとしている人は、それより低次の欲求がバランス良く満たされていないと条件が整っていない可能性があります。尊厳欲求を満たそうとする前に、自分は所属・愛による安心感を十分に得ているか?安全な生活に満たされているか?といったことを再確認してみるといいでしょう。
また、高次の欲求にチャレンジすればするほど、当然ながら上手く行ってくれないことが多くなってくると思います。リワードが大きい分、リスクが高いのです。多大な時間や労力を割いたとしても、決して上手く行く保障はないのです。高次の欲求を満たすことに失敗したとき、どうするか?今意識している欲求の段階をいったん諦め、それより簡単に満たされる欲求をしっかり満たしてください。じゃないとピラミッドのバランスが崩れる。
SNSを長時間やるほど不幸になる、という研究結果が数年前に報告されましたが、あれも今のご時世の社会問題といえます。幸福度を高めるルールを崩してきてる。SNSは簡単に所属感が得られる上に、いいねの数やフォロワー数などで他人に認められている度合いを数値化して尊厳欲求を刺激してくる仕組みになっています。はりぼての、インスタントスナックのようなお手軽さ。高次の欲求をダイレクトに満たせるような仕組みに誰しもが簡単にアクセスできる時代になったのです。いいね!
・・とはいえ、そんな簡単に本来高次の欲求は満たせるようになったとしても、その多くは吹けば飛ぶような薄っぺらいものであったりして。インターネットに接続できなければ、アカウントが消えてしまえば、一瞬でその土台が崩れる、はりぼてです。仮想空間での疑似的な欲求不満解消のツールに過ぎない。その薄っぺらさは、のめり込めばのめり込むほど気づいてきてしまいます。実社会での人間環境などと比べてしまい、よけい現実を見るのが辛くなる。そういった場合は、いったん低次の欲求を満たすことを考えてみるのはアリだと思います。急がば回れ、じゃないけれど。
今の情報化社会は、簡単に人と繋がれて、大勢の赤の他人から評価を受けやすい環境になった。その結果、「バーチャルな世界でお手軽に」所属感や尊厳が満たされるようになった一方で、身を置いている実社会とのギャップによって苦しんでいる人も増えた、ということです。長くなったのでいったんまとめると。
・・・欲求の構造は伝わったでしょうか。これを意識して、幸福度を最大化していきましょう。必ずしも高次の欲求を満たす必要なない。下から、順番に、しっかりと土台を作る。次に、何をやればいいのかですよね。ここで出てくるのがQuality of Lifeと Wellnessという概念です。
Quality of Life(QoL)とは?
一般に、ひとりひとりの人生の内容の質や社会的にみた生活の質のことを指し、つまりある人がどれだけ人間らしい生活や自分らしい生活を送り、人生に幸福を見出しているか、ということを尺度としてとらえる概念である。
クオリティ・オブ・ライフは、個人の収入や財産を基に算出される生活水準(英: standard of living)とは分けて考えられるべきものである。
ーWikipediaより抜粋
この記事でいうところの幸福度ですね。QoLを高めましょうということ。
で、QoLを高めようとした際に、Wellnessという概念を知る必要が出てきます。
Wellnessとは?
近年のウェルネスの定義には2015年にGlobal wellness Instituteが提唱する「身体的、精神的、そして社会的に健康で安心な状態」がある。
ウェルネスとは、病気ではない状態であるヘルス(健康)を「基盤」として、その基盤をもとに豊かな人生、輝く人生を実現することが「ゴール」である。
1961年に、アメリカの医学者、ハルバート・ダンによって提唱された。
ーWikipediaより抜粋
まぁMaslowの提唱した構造もこれに近いものがありますが、Wellnessはどちらかというと、それぞれの欲求を並列的に見ているような気がします。で、少し分類が異なる。
Roscoeによる2009年の総説によると、Wellnessは5-7つの分類に区分されることが多いと(区分は専門家によって少し異なる)。
この図は全然Maslowの方と比べて日本語で出てきません。ウェルネスという言葉が商業的に使われている一方で、コンセプト自体はいまいち浸透していないのかもしれません。が、とりあえずここでは7つにまとめてみました。それぞれ詳しくは説明しませんが、なんとなく大枠でこういう風に分類されるのね、とわかってもらえればOKです。大事なのは、これらの組み合わせをバランスよく満たすこと。これらの要素はお互い関係しあっていることが分かっています。筋トレすると精神的に良い効果があるとかね。という点で、証明はできませんが、あまりにバランスが不均一になってしまうと、高いQoLは維持できないんじゃないでしょうか。
なので、自分の生活を見てみて、どの部分がクリティカルに欠けているか、どこの部分が伸ばしやすそうかを考えてみるとよいと思います。これ大事。なぜなら、各要素が関係しあっているから、どれか一つ致命的に欠けている状態だとしても、他の要素を高い状態に持っていくことで、自然と欠けている部分も改善される可能性があるからです。
ここら辺の要素をバランスよく満たしていくと、結果としてMaslowの階層的欲求でいう、より高次の段階まで届くような気がします。
ーーー結論ーーー
人生は
「山あり谷ありのゲームの中で、幸福量のハイスコアを叩き出すこと」
「なるべく長期間、幸福度(Quality of Life)を高い状態で維持すること」
がゴールであり、
具体的なHowを含めると、
自分の欲求のレベルを知り、Wellnessでの欠けている部分を補うために伸ばせそうなところを満たしてあげることで、結果としてWellness全体の総量を上げること
がゴールだと考えてよいと思います。
反響次第でWellnessについて今後もっと掘り下げていきたいと思います。
投資・テクニカル:出来高で値動きを予測する
・・・うん、まだ予測できるようには全然なっていません!!笑
要点
「出来高は株価に先行する」は投資の格言!(ググるとでてくる)・・・ただ、常にそうとは限らない。
どうも、まさです。
ドイツはビールが500mlで100円程度と、とかく安いので、定期的に箱買いしています。今日買ったのは「いかにもホップが効いてるぜ!」的な主張をしていたHopf Helle Weisseというやつです。バナナみたいなフルーティーさが弱めで、やや酸味が主張しているものでした。☆3つ。今度おすすめのビール情報も書きたい。
とりあえず現時点、9/17で出来高に関して調べた際に思ったことをまとめたいと思います。出来高、ずーっと前から気になってたんですよね。価格情報とは別の扱いだから。以下、いくつかポイントを書き連ねますが、出来高の多面性の難しさに注意して下さい。その性質を上手く理解しないと使えないと思っています(そこが僕の当面の課題です、僕も分かってないです)。
①出来高は相場の活況度を表す
そもそも考えていたのはこれでした。出来高はある時間内に取引された量ですから、もちろんそれが多いほど多くの取引がなされた、ということ。例えば、値動きが1時間で100円だったとして、それが2人だけでやりとりした結果なのか、1000人の売りたい・買いたい思惑が入り乱れた結果なのか、大きく違いますよね。
それで?って言う話ですが、僕がおおまかに考えていたのは2つ。
出来高が大きいとき、それは
A) 反発しやすい。なぜなら下がっても押し目で買う人が多いから。
B) 急に一方向に動きやすい。なぜなら皆勢いに乗るから。
どちらもあると思います。大事なのは、背景を考えること。Aの場合は、基本的に強いトレンドが続きそうだ、というときに多そうですよね。Bの場合は、レンジ膠着からブレイクする時に勢いに乗りたい、という時に多そうですよね。
②出来高は価格に先行する
ふうむ、調べるといくつかこういったことを書いているサイトが出てきました。
相場の格言なんだとか。「逆ウォッチ」という言葉もみっけました。逆ウォッチというのは、横軸を出来高、縦軸を価格、とした場合に、相場のサイクルは次の図のように動くのよ、ということなんだそうです。まぁ、いろんなサイトに出てるけどね、自分でも図にしておくね。反時計まわりだからその名前がついたそうな。
で、これは時間の軸がない。時間軸で見た方が慣れ親しんでいるので、それで見せるとこんな感じ。おなじみBTCで、昨年末のピークをつけた時の出来高が価格に先行している例。
いや、もっと細かくみたら色々山あり谷ありって感じなんだけどね、とりあえずのイメージです。たぶん経験ある人だったら、当時、この出来高の変化でピークくるな、ってのが分かってたはず。たぶん。
③大口の動いた形跡は隠せない
これ、そうだなぁ、と思いました。まぁ考えれば当たり前なんですけど。
大口は値動きをうまい具合に誘導したいわけですよね。特に個人大勢が買い込む前にたくさん仕込んでおきたい。なので、価格があまり動かないようにある程度の期間に分けて仕入れていく。その次に、価格を一気に、センセーショナルに、上げる。ファンダの好材料と一緒に出来れば注目が浴びせられてベター。この際、急激に出来高が大口によって上げられる。これは一気に価格を上げるために資金投入するから。
するとどうか?何かありそうだ、上がり続けるんじゃないか、という個人投資家がどんどん寄ってきて、買いが一気に優勢になる。場が活況になる。出来高を伴って価格が上がり続け、その評判を聞いて更に人が増えることで出来高が増える。
この頃には出来高がピークを迎える。それは、「このBTCは永久に上がり続けるぜ~~~!!もっと買うんだ!!」なんて個人投資家の沢山が浮かれまくっている間に、
大口が「どうぞどうぞ。そんなに買いたきゃ売ってあげます」と大量に売りさばき、一気に利益を得る。・・・これが出来高が価格に先行する、と言われるゆえん(違ったらめんご。バンドワゴン効果とかいうやつ)。
逆も然りです。大口がなるたけ安く大量に仕込むには?これまた価格を下落相場にして総悲観にさせる。個人投資家が下落に耐えられずどんどん投げ売りしていくときには大口が購入完了。という。
注:じゃあ、出来高が常に価格に先行するのか?というと、どうやらそうでもなさそうなんですね。
というのも、
A) 出来高と価格がそもそもそんなに意味を持つ関係を持っていない時期と、
B) 出来高が価格に遅れてくる時期
があるっぽいんだな。これが。逆ウォッチを書いているサイトのページに、「価格が出来高を先行する場合もある」ってことを書いていないケースが多いです。親切なページは書いてありました。
で、ここら辺がどういうタイミングでスイッチ切り替わるか?
大口が操作しなくても良い時期、というのがあるような気がしています。大口が上に下にと引っ張らなくても、ある程度方向を定めてそっちに進むとき、とか??
今のところはMACDを出来高に当てはめると凸凹が減るのでまずはその傾向から何か見出せないか調べ中です。とはいえ、凸凹も大事な情報なので、そっちも後々考えます。
・・とはいえ、まだ良く分かっていません。
知ってたらこっそり教えて下さい。笑
統計と機械学習の共通点ってなに?
今日は統計と機械学習の共通点についてです。
要点
統計と機械学習で解析できるデータや、やる作業はほとんど同じ。
だからこそ、モデル化する目的をしっかり確認。自分の考えの妥当性を検証したいなら統計、とりあえずデータ漁りしたいなら機械学習。
前回は統計と機械学習の違いについて。元々の考え方の出発点が根本的に違うんだよ、ということでした。 とはいえ、同じデータを同じように解析できちゃうわけです。実際のところ。
例えば、体脂肪率をモデル化したい、体脂肪率の高い低いを説明するのに大事な要因を探りたいといった場合。各個人の体脂肪率を計って、その他に考えうる関係しそうな要因をいくつも用意するわけです(例:年収・スポーツ頻度・朝ごはんはパン派かお米派か・飲み会頻度・親の体脂肪率、とか。適当ですが)。
で、結局は統計も機械学習も、
1)集めたデータをエクセルシートなんかにまとめる
2)何らかの変数が目的変数(体脂肪率)と関係してるか確認のためにモデル化
3)モデル化した上でどの変数が強い説明力を持つか確認する
4)モデルがそれなりに妥当かどうか検証する(関連:説明力)
というワークフローは全く同じです。どっちも同じデータを使ってパターンを見るわけだから同じっちゃ―同じわけです。
だからこそ、統計と機械学習のやる作業が似ているからこそ、そのモデル化したい目的はなんなの?をしっかり自分に問う必要があるのです。
そこで前回書いた「違いとは何ぞや」を思い出してほしいのです。
説明したいの?予測したいの?
自分の考えた関係性を検証したいの?とりあえずデータ全部使って眺めたいの?
ここらへんを区別しとくと、どっちを使うかは明確になります。
実際、データ解析の依頼とか受けた際に、「これを機械学習でどうこうしてほしいんだけど・・」と言われても、相手の目的次第で統計手法をオススメしたりします。とはいえ、相談してくる以上、自分で何したらよいのかようわからん、という場合が多いので、色々話して、相手が仮説をもっていてそれを検証するのが目的かどうか(それなら統計で良い)というのを明らかにしていきます。「機械学習ってファンシーでマジカルなんだろ?やっちゃってよ!」みたいな輩が相談しにきたりした場合は、そもそも統計と機械学習の違いの話とか聞く耳持たない場合もあるので、そんな時はとりあえずもはや統計と機械学習どっちも適用して結果を比較したりもします。
・・とはいえ、最近は機械学習と統計、ちょっと境界線があいまいになってきてる部分もあったりしてですね。なんかお互いの分野の一部の人たちが少し歩み寄り始めたって感じの展開が10年前くらいから出てき始めてます(そこらへんも近日中に書きたいです)。
あと、機械学習って「データが大きい時に使うんじゃないの?」というご質問も受けたりして、でも実務だと小さいデータでも使うべきところもあるのよ、というのも近日中に書きます。